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丹野吉雄(竹中工務店)31歳設計士が東京ドームを作った!

      2016/04/04

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東京ドームを設計したのが竹中工務店にいた丹野吉雄(たんのよしお)さん

彼がいたおかげで現在の東京ドームができました。

丹野吉雄さん、そしてその回りにいた人達がどんな困難を乗り越えて東京ドームを作り上げたのか紹介します。

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丹野吉雄設計士が東京ドームを!

東京ドームは今まで日本に無かったドーム球場です。

しかしオイルショックや長島さんの引退などで少し野球の人気も落ちてきていました。

そこで日本にエアドームを作って巨人のためにがんばろうとしたのが当時の後楽園の社長

しかし、日本でエアドームを作る技術はありません。

そこで声がかかったのが、竹中工務店。そしてそこで働いていた31歳の設計士丹野吉雄さんにも声がかかりました。

しかし竹中工務店は建物をつくる技術はありましたが、エアドームのテント技術はありません。

その問題に答える会社がありました。それが万博で活躍をした太陽工業です。

万博のパビリオンの屋根はたくさんのテント生地で出来ていました。

しかもアメリカ館の屋根はエアドームで出来ていたのです。

その仕事を太洋工業はしていました。

太陽工業からは望月利男さんを中心としたチームを

竹中工務店からは丹野吉雄設計士たちが気の遠くなるような実験を繰り返しました。

結果的に丹野吉雄設計士たちが東京ドームを作り上げたのは8年後のことです。

途中、日照権の問題がありドームの形を少し斜めにしなければいけないという事がおこりました。

しかし、そのことによってバッターが打った球が屋根に当たってしまうという可能性が出てきました。

その為に丹野吉雄設計士は後楽園球場に測量士と共に何度も足を運んで計算をしました。

結果的には少ない確立でしか屋根には当たらないという結果になり、日照権の問題でドームは前代未聞の斜めにむいてつくられています。

また太洋工業の望月利男さんらは、アメリカから材料仕入れましたが、生地ひとつひとつにばらつきがあることが判明したのです。

アメリカまで行き直接メーカーとばらつきがなくなるように交渉をしましたが、無理でした。

しかしそこで諦めないのが望月利男さん

どこの場所にどのテントを当てはめるかを計算して、ドームを作りました。

また太洋工業は東京ドームのために新しい工場まで作ったのです。

社運をかけてまで東京ドーム建設に望みました!

そして、竹中工務店、日建設計、太洋工業は東京ドームを作りあげてしまったのです!

 

 

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まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は当時31歳の若き設計士丹野吉雄さんとその中間達を紹介しました。

丹野吉雄設計士の情熱が無ければ、今の東京ドームは出来ていなかったかもしれません。

4月3日のトリハダ(秘)スクープ映像100科ジテンでは丹野吉雄設計士が紹介されました。

何度も何度も問題を抱えても、それを乗り越えていく姿勢は同じ日本人であることを誇りに思わせてくれました。

誰でも出来る仕事ではありませんが、会社があり、仲間があれば、それを乗り越えさせてくれるのかもと考えさせられました。

その後、この同じ中間達で日本中のドームは作られました。

私も東京ドームには何回か行ったことがあります。

あの大きさの屋根がすごく薄いもので出来ていると考えるだけで日本も技術力に感心してしまいます。

今の野球人気があるのも、野球好きの設計士がいたおかげかもしれませんね。

今日もありがとうございました。

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